カラスを餌付け
水曜日。雪。積雪予報が出ていたので、朝の雪かきと渋滞を考えて、昨夜、いつもより1時間早くアラームをセットしておいたら、アラームより早く、猫に四時に起こされた。
それも、いつもなら肉球だけで私の顔をトントンするのに、爪を立ててザックリと起こしにかかってきた。
なんでだ。
猫はいつも、月曜日から土曜日の出勤日にだけ、アラームが鳴る前に私を叩き起こす。
そして休日の日曜日は、決して私を起こそうとしない。
日曜日だけは、私の枕元で無表情に座り、自然に起きてくるのをひたすら待ち続ける。惰眠をむさぼる私の横で、空腹に耐えきれないmarrが鳴きながら私の顔に手をのばしかけた時、fooがパシッとその前脚を叩いて制止したのを見たことがある。
猫と会話ができるなら、
「なんでなん?」
と聞きたいが、聞かれても猫はおそらく
「知らんけど」
と答える気がする。
相当早く出たつもりが、それでも渋滞にはまり、通勤に70分かかった。
コールでしいちゃんを起こした。
3時にようやく眠れたというしいちゃんの日本語は崩壊していた。
私の知らない外国語を話していた。ところどころに日本語が混ざっていた。
日本語で聞き取れたのは
「カラスを餌付け」「全身ユニクロ」「なんかのパチンコ」「絶対数の玉が違い過ぎる」
他にもあったが忘れてしまった。
外国語の部分は英語ではなかった。アラビア語?エジプト語?全く分かりようもない言語だった。
完全に目が覚めたら、しいちゃんはまともに日本語だけで喋れるようになった。
「カラスを餌付けって何なん?」
と尋ねたら
「私の方が聞きたいわ」
と言った。
ずいぶん前の事になるが、私の仕事中に突然しいちゃんから電話がかかってきたことがあった。しいちゃんは最初日本語で「元気?いま電話大丈夫?私今会議で移動中」
とか何とか普通に喋っていたのに、突然音声言語が英語に変換されて、以降私はしいちゃんが何を喋っているのか全く分からなくなり
「ごめん分からないから切るね」
と切ったことがあった。
後でしいちゃんに
「あれは何だったの」
と聞いたが
「知らない。自分でも分かんない」
と言っていた。
しいちゃんは英語に限らず、別に習った訳ではないのにいつのまにか知らない外国語をネイティブのように話し始めることがある。
「何なの」
と聞いても
「知らない。そんなこと自分に聞かれても困る」
と言う。
猫もしいちゃんもよく分からないことが多い。本人たち自体が分かってないのだから、私に分かるわけがない。
話していたら、だんだんしいちゃんが私をからかう感じで困らせるようなことを言ってきた。
それで
「しいちゃんって、人が困るのを見て面白がるところあるよね」
と言ったら、凄い勢いで
「傷ついた!今めちゃくちゃ傷ついた!もう、這いつくばって床を両手で叩きながら泣いてる、心で嗚咽してる!映画だったら金髪振り乱して、スクリーンの字幕にはNO…NO…って出てる!」
としいちゃんが言った。
「しいちゃんの傷つくポイントが分からない…ガラスの十代…」
と私が言ったら
「日本語で言えばセンシティブ!」
と言った。
そう言ったような気がするが、今思い返してみると、それは多分私の聞き間違いだ。
しいちゃんはそんな日本語は言わない。
今夜の晩ご飯は、クリームコロッケ、サラダ、カブとカニカマのあんかけ、ずんだ餅。
まるごとバナナと風呂と猫
火曜日。晴れ。
今日は忙しく働いて、そしてカウントダウンで定時ぴったりに上がることが出来た。
家に帰ったら、土曜日に買い置きして賞味期限が1日過ぎた「ヤマザキのまるごとバナナ」が冷蔵庫で待っていることを楽しみにして帰った。
晩ご飯は、サバの味噌煮と柚子鍋の残り。
まるごとバナナは半分食べて、後の半分は明日の朝に残した。朝起きるのが楽しみ。
お風呂に入った。この半年ほど、お風呂に入るのが苦ではなくなった。なんの苦もなくスッと服を脱いで湯に浸かれる。そして気持ちいいと思える。これは凄いことだと思う。憑き物が落ちたような不思議な思い。あんなに苦痛だったのに。私には今までお風呂が嫌いな憑依霊が憑いていたのではないか。もしくは、今までずっと、お湯に浸かるには自分の深いところがあまりにも疲れ過ぎていたような、そんな気もする。
今、この日記を書きながら、猫に蹴られまくっている。fooは遊んでもらいたい時に遊んでもらえないと、私の肋骨を思い切り蹴る。小さく泣きながら何度でも何度でも助走をつけて蹴り上げる。
この癖はやめてもらいたい。
アイドリング
月曜日、晴れ。氷点下7度。
朝ご飯は七草粥。
しいちゃんは今日から仕事始め。朝の4時まで眠れずにいたとのことで、寝起きがキツそうだった。
「私、今、したいことは、ズボンね」
「ズボン?」
「ズボンを脱ぎたいね。脱いでさ。ズボンだけじゃなくて」
「ズボンだけじゃね」
「パンツもさ、脱ぎたい」
「そうなんだ。まあ、まずは着替えないとね」
「うん、そんで、付け根から、思い切り出したいの」
「え」
「まあ端的に言えばおしっこをしたいんだけどね」
「そんな長々プロセスをこと細かに言わなくたって、五文字でいいじゃない、トイレ行きたいって」
「平たく言えばそうだね。でも『トイレ行きたい』は五文字じゃないけどね」
「そうなんだ…あーほんとだ。全然五文字じゃないね」
そんなことを話した。
ピンピンコロリの話もした。
ピンピン生きるのもいいけど肝心のコロリへの努力を忘れてる者が多いことをしいちゃんは長々と憂い続けていた。
「長い休みだったから、無理せず今日は一日暖気運転で、アイドリング運転でいくといいよ。」
と私が言ったら
「節子、それ、運転違う…その運転、前に一向に進んでないヤツや」
と言われた。
今日は一日フル稼働であっという間に過ぎた。
夕ご飯は、シシャモのフライに、大根のカニカマとミツバのあんかけ煮。
帰りにUNIQLOに寄って、注文していたカシミアセーターを受け取った。
ロザリオ
日曜日。晴れ。
ロザリオを買いに行った。
夫への誕生日の贈り物。
「ロザリオが欲しいと思ってる。」
と夫が言ったのはもう何年も前のことだ。
「道で猫や野生動物がはねられた死骸にあった時、その死骸を葬る際に祈りたいが、自分は信仰する宗教が無いので祈るよすがが無い。考えたが、南無阿弥陀仏は自分にはしっくりこない。一番しっくりするのはキリスト教な気がする。祈る時に使う為にロザリオを持っていればいいのではないかと思う」と。
その話を聞いてからしばらくの間、夫のロザリオを探してみたが、これというのが見つからないまま、探すのもやめて年月が過ぎていき、夫自身もロザリオを購入しないまま、道で死骸を見つければ素手で葬い続けていた。
ロザリオは、私が以前通勤していた街にあるアンティークショップで売っていた。
私はその街の病院に2年勤務した。
100年近く前からからあるキリスト系の病院で、森のような敷地内に小さな古いチャペルも併設されていた。
召されゆく人を大切にする病院だった。
私はその病院に転職する前に病んだ。環境を変えれば良くなるかと考えての転職だったが、回復しきれず、ぎりぎりの心身状態で働いていた。
昼休みや帰宅前、誰もいない時間帯を見計らいながら時々チャペルで祈った。
チャペルの中は、暗く、そして静かで優しかった。
祈りながら働いている私に、しいちゃんが言った。
「あなたにはおそらくキリスト教があっているわ。信仰を持つのもいい。」
そうなのかと思った。
私はキリスト教に帰依する自分を想像した。そして私には出来ないと思った。
私は、キリスト教に入信するには、罪が深過ぎた。
私は聖書でいえば「天の国には入れない側の人間」だった。
そのことをしいちゃんに言ったら
「違う。罪がある人間こそキリスト教は救済をする。」
と言った。
私はしいちゃんの言ってることが分からなかった。言葉は理解できるけれど、その意味は霧のようにぼやけて、ただ
「だめだ」
としか考えられなかった。
罪を手放すことも、その罪に光を当てることも出来なかった。
私は、あの病院が好きだった。
幼児を育てている人は、その子を抱いて出勤し、働いている間は子どもたちは森の中の庭で遊んでいた。
看取り病棟には、犬や金魚もお見舞いに来ていた。亡くなられるその日まで猫がずっと付き添っているお部屋もあった。
誰かが召されると讃美歌が流れ、職員も集まり、チャプレンと共に祈りをささげ、皆でお見送りをした。
100年近くの間に積み重ねられた祈りと行為が消えない匂いのように、どこもかしこにも漂い続けているような病院だった。
結局数年で私は病をこじらせ、休職の末に退職した。
ロザリオを買いに車を運転しながら、夫は死んだら天に召される人だと思った。
私は天には行けないと思った。
あの時のしいちゃんの言葉を思い出した。
チャペルで祈った、あの時のあの場所のことを思い出した。
何かを望んで祈ってはいなかった。
救われたいと考えてはいなかった。
暗くさみしく悲しくて優しい場所だった。
私はあの時、ゆるされていた。
そう気付いた。
運転しながら目が濡れた。
そして、ゆるされることと、天に行けることとは別だとも思った。
私は天には行けない。
でも、あの時、私は、ゆるされていた。
天に行けない自分は、あの時、悲しみと共に、抱かれていたのだと思った。
アンティークのロザリオのチェーンは貝で出来ていた。
贈り物用に緑の箱に入れてもらった。
私は自分用にネックレスを買った。
帰りに、おじいちゃんが食べたがっていたモンブランを買った。
カヌレとレモンパイとアップルパイとフィグノアとスペキュロスも買った。
テリーヌショコラとコーヒーを飲んで帰った。
夕ご飯は、長葱と鶏と厚揚げをネギマみたいに甘辛に焼いたやつ。お蕎麦の残りを薬味の刻みネギと一緒にお団子にして焼いて、くるみダレをあえたもの。里芋とイカの煮付け。
帰宅した夫に
「モンブランが冷蔵庫にあるよ。焼き菓子は半分こに切っとくからシェアして食べよう」
と言ったら
「やったね」
と言った。
グロテスク
土曜日。半日出勤。朝起きると夜中の3時に、しいちゃんからメッセージが来てた。
「眠れないから起きている。朝出る時にかけてきて」
ポリファーマシー 。反跳性不眠。
出勤途中に電話をかけた。
しいちゃんと6日ぶりに話した。
しいちゃんは寝入りばなだったらしく声が死にかけてた。
「せっかくだからこのまま寝る?それとも頑張って起きて昼夜のリズムを調整してく?」
と聞くと
「いい」
と言った。
何がいいのか。でもいいのならいいかとそのまま電話を切らずにいた。
しいちゃんの声はくぐもっていて半分くらい聞き取れなかった。時々咳をした。
そのうち何も喋らなくなった。
私から喋ることは何も浮かばずに、とりあえず今朝は寒いこと、外気温が零下3度のこと、昨日は零下6度だったので昨日の方が冷えたはずなのに今朝の方が寒く感じることを言った。
しいちゃんは何か答えたが聞き取れなかった。
それから黙って、私も話すことが見つからず黙った。
しいちゃんが今の恋人と初めて過ごしたお正月休みがどうだったか聞こうと思ったが、聞いても半分死んでいるしいちゃんからは多分平べったい答えしか返ってこないし、聞き取れないだろうと思い、よした。
静かなので寝たのかと思ったが、受話器の向こうから寝息は聞こえなかった。
しいちゃんは寝ているわけではなくて、ただの石になっているのだと思った。
15分ほど経ったので黙って電話を切った。
「切るね」
と言ってから切った方が良かったかなと考えたが、寝ているのなら私の声で起きてしまうのもイヤだし、それに黙って切ろうがひと声言ってから切ろうが、どっちだろうが、しいちゃんは何も思わないだろう。ただの石だから。
帰りにまたしいちゃんと電話で話した。
ジェラード屋さんの駐車場に車を停めて話した。
しいちゃんは完全に覚醒していて、滑舌も良く、言ってることは全て聞き取れた。
人の見た目について、男の高身長、女のおっぱいと顔つき、補正下着、世界で1つだけの花的な股間の形状、経年劣化で象化していく股間と永久脱毛の問題、ドライオーガズムとサウナの関係、篠田桃紅、白洲正子、武田百合子の事などを話した。
そして、植物の生殖器は虫を惹きつけて生命を宿すためにあらん限りの美しさで華やかに花を咲かせるのに、人間の生殖器はどうして花のような美を持たず、悲しいくらいグロテスクなのかという話になり、人が人と深く結びつくには、人のグロテスクを受け入れるという過程が必要なんじゃないかという結論になった。私は自分のグロテスクを受容できないでずっと生きてきたので、この結論にはすごく拓かれたような気持ちになった。忘れないでいたい。
電話を切ってから、ジェラードを食べた。
ピスタチオとほうじ茶と栗きんとんのトリプル。450円。
履歴を見たら1時間25分話してた。
車のエンジンを止めていたので身体が冷え切っていた。話している時は気付かなかった。
西友に寄ったが湯豆腐に入れる白身魚が品切れで、鶏肉を代用で買った。
湯豆腐というより、ただの柚子のごった鍋になった。せん切り柚子、鶏肉、長葱、白菜、椎茸、マコモタケ、厚揚げ、豆腐、お餅。具を入れすぎて豆腐が崩れた。
おせちの残りの昆布巻き、青豆、黒豆、青梗菜と枸杞とキクラゲの中華炒め。
おばあちゃんの昆布巻きは、魚が入ってなくて昆布だけで作られていて食べやすい。醤油や砂糖もキツく無くて、ほんのりと酢が効いていて、とろりと柔らかい。
おじいちゃんとおばあちゃん2人とも眠そうにしていたので5時前に晩ご飯にした。二人とも機嫌が穏やかで、残さず食べてくれて良かった。
年のはじめに
新しい年が始まりました。
何か新しいことを始めてそして継続する努力をしてみたいと思いました。
字数や読み手の反応を気にせずに自分のためだけに生活を記録することにトライすることにしました。
1年間継続することが目標。
勝手に私が親しみを感じているネットの人たちを思い浮かべ、その方々に向けて一方的に独り言を呟き続けるような感じです。
画像は、元旦に神棚にお参りした時に、神棚が発光していたので撮った写真。
縁起が良さそうな光でした。
今年1年良いことがあるんじゃないかと思えました。
でも実際は、おばあちゃんが大晦日の夜からずっと吐くわ下すわの大騒ぎで、お正月のテーブルにもつけず、おじいちゃんも認知症の兆しを感じる言動が増え、波乱の幕開けでした。
毎日少しずつ書いていきます。
明日は土曜日で半日出勤なので今から嬉しいです。
仕事の帰りにジェラード屋さんに寄ってピスタチオのジェラードを食べようかと思ってる。
柚子が1つ残っているので、明日の夕ご飯は柚子の皮を使ったお惣菜を何か作ろう。
根を詰めず、まずは今日はこのくらいで書くのやめよう。