ロザリオ
日曜日。晴れ。
ロザリオを買いに行った。
夫への誕生日の贈り物。
「ロザリオが欲しいと思ってる。」
と夫が言ったのはもう何年も前のことだ。
「道で猫や野生動物がはねられた死骸にあった時、その死骸を葬る際に祈りたいが、自分は信仰する宗教が無いので祈るよすがが無い。考えたが、南無阿弥陀仏は自分にはしっくりこない。一番しっくりするのはキリスト教な気がする。祈る時に使う為にロザリオを持っていればいいのではないかと思う」と。
その話を聞いてからしばらくの間、夫のロザリオを探してみたが、これというのが見つからないまま、探すのもやめて年月が過ぎていき、夫自身もロザリオを購入しないまま、道で死骸を見つければ素手で葬い続けていた。
ロザリオは、私が以前通勤していた街にあるアンティークショップで売っていた。
私はその街の病院に2年勤務した。
100年近く前からからあるキリスト系の病院で、森のような敷地内に小さな古いチャペルも併設されていた。
召されゆく人を大切にする病院だった。
私はその病院に転職する前に病んだ。環境を変えれば良くなるかと考えての転職だったが、回復しきれず、ぎりぎりの心身状態で働いていた。
昼休みや帰宅前、誰もいない時間帯を見計らいながら時々チャペルで祈った。
チャペルの中は、暗く、そして静かで優しかった。
祈りながら働いている私に、しいちゃんが言った。
「あなたにはおそらくキリスト教があっているわ。信仰を持つのもいい。」
そうなのかと思った。
私はキリスト教に帰依する自分を想像した。そして私には出来ないと思った。
私は、キリスト教に入信するには、罪が深過ぎた。
私は聖書でいえば「天の国には入れない側の人間」だった。
そのことをしいちゃんに言ったら
「違う。罪がある人間こそキリスト教は救済をする。」
と言った。
私はしいちゃんの言ってることが分からなかった。言葉は理解できるけれど、その意味は霧のようにぼやけて、ただ
「だめだ」
としか考えられなかった。
罪を手放すことも、その罪に光を当てることも出来なかった。
私は、あの病院が好きだった。
幼児を育てている人は、その子を抱いて出勤し、働いている間は子どもたちは森の中の庭で遊んでいた。
看取り病棟には、犬や金魚もお見舞いに来ていた。亡くなられるその日まで猫がずっと付き添っているお部屋もあった。
誰かが召されると讃美歌が流れ、職員も集まり、チャプレンと共に祈りをささげ、皆でお見送りをした。
100年近くの間に積み重ねられた祈りと行為が消えない匂いのように、どこもかしこにも漂い続けているような病院だった。
結局数年で私は病をこじらせ、休職の末に退職した。
ロザリオを買いに車を運転しながら、夫は死んだら天に召される人だと思った。
私は天には行けないと思った。
あの時のしいちゃんの言葉を思い出した。
チャペルで祈った、あの時のあの場所のことを思い出した。
何かを望んで祈ってはいなかった。
救われたいと考えてはいなかった。
暗くさみしく悲しくて優しい場所だった。
私はあの時、ゆるされていた。
そう気付いた。
運転しながら目が濡れた。
そして、ゆるされることと、天に行けることとは別だとも思った。
私は天には行けない。
でも、あの時、私は、ゆるされていた。
天に行けない自分は、あの時、悲しみと共に、抱かれていたのだと思った。
アンティークのロザリオのチェーンは貝で出来ていた。
贈り物用に緑の箱に入れてもらった。
私は自分用にネックレスを買った。
帰りに、おじいちゃんが食べたがっていたモンブランを買った。
カヌレとレモンパイとアップルパイとフィグノアとスペキュロスも買った。
テリーヌショコラとコーヒーを飲んで帰った。
夕ご飯は、長葱と鶏と厚揚げをネギマみたいに甘辛に焼いたやつ。お蕎麦の残りを薬味の刻みネギと一緒にお団子にして焼いて、くるみダレをあえたもの。里芋とイカの煮付け。
帰宅した夫に
「モンブランが冷蔵庫にあるよ。焼き菓子は半分こに切っとくからシェアして食べよう」
と言ったら
「やったね」
と言った。